終戦記念日に寄せて

2011.8.16守りたいもの

8月6日の広島の原爆記念日、8月9日は長崎の原爆記念日、そして8月15日の終戦記念日と続いた。
今年の原爆記念日は、なんとも言えない気持ちで迎えることになった。
今まで「かつて戦争があったのだなぁ。もう、あんな悲劇は繰り返してはいけないのだなぁ」と思って迎えたのだけど、今年は多分違った思いの方が多かったのではないだろうか。
原子爆弾原子力発電所、勿論、目的は全く違うけれど。でも、被爆者たちが、長い間受け続けた肉体的苦しみや、差別を思うと、なんとも苦しい気持ちになる。被爆者という事を隠し続けた方や、結婚を反対された方もいたそうだ。
福島第一原子力発電所事故が起こってから、私は原発事故についてほとんど言及してこなかった。あえて、避けていた
実は、あの事故が起こる前から、何十年も前から、もっというなら親の代から、我が家は原発反対だった。「安全だって言うなら東京の真ん中に作ってみろ!」とは亡くなった父がよく言っていた言葉だ。
だけど、湯水のように電気を使う生活に慣れきってしまうと、「反対だけど、でも、エアコンが無いと死んじゃう」そして、太陽光システムがいいなぁと思いつつ、やはり高額で踏み切れなかった。頑張って太陽光発電の家にしておけば「だから!言ったじゃん!家は原発なんてなくたってオッケーだもんね!」と胸を張って言えたんだけど。
だから、「原発反対」と思いつつ、胸をはって言えなかった私。何しろ家電だらけの我が家だし(冷蔵庫なんて3つあるし。1つは犬用冷凍庫。)。
でも、これだけは胸を張って言おう。私は、選挙権を手にしてからうん十年、ただの一度も原発を推進した党に投票したことはない(ん?1回だけあったかも?)。署名活動も、デモ行進も勿論意思表示だけど、選挙の一票も大切な意思表示。でも、事故後行われたいくつかの選挙で、「かつて原発をじゃんじゃん推進した党」が圧勝してたりすると、がっかりする。
犯人探しをして、罪をそいつに擦り付けるつもりはさらさらない。原発推進を黙認したのは私たちでもあるから。でも、どうやって日本に原発が増えていったのか、何が問題だったのかを思い出して、反省して繰り返さない必要がある。なぜなら、今回もし原子力発電所が日本から消えたとしても「めでたしめでたし」にはならない。発電所じゃない別の何かが開発推進される時に、また同じことが起こりうるからだ。
それは新しいエネルギーを生む何かかもしれないし、新しい交通システムかもしれない。大きな開発とお金と政治が絡むとき、安全がおざなりになる危険があるという事。それを肝に銘じて、今後の世の中を見ていかなくてはと思う。
かつて、私たち日本人は(私は生まれてなかったけど)、戦争に向かって突っ走る国を止める事ができなかった。勿論、「当時の政府が悪い」「軍が悪い」と言う事は出来る。でも、取り返しのつかなくなる前に、止めることも出来たはず。そして、原子力発電所も54基も作られている間に、どこかで止めることも出来たはず。私たちは許してしまった。見逃してしまった
脱原発を私は勿論望んでいる
でも、同時に、次に日本を悲劇に陥れる何かがやってきた時に、取り返しがつかなくなる前にストップできる国民に進歩しなくてはと思うのだ。
だって、この笑顔を守りたいから。ただそれだけなのだ。
長文にお付き合い下さりありがとうございました。