チェルシーを迎えるにあたって・その1

2010.8.10かわいいアポロ

アポロがいなくなって、2ヶ月が経ちました。この間も書いたように、やっぱりアポロが居ないことがまだ実感できず、涼しいところを求めて玄関のたたきにいるだけなんじゃないかとか、王様と2人で散歩に行ってるんじゃないかとか、そんな感じです。反面、アポロが居た日々が、はるか遠くの事の様な気もしたりします。そして、部屋中に貼られたアポロの写真の笑顔を見るたび、「ああ、このかわいい笑顔はもう見られないんだ」と急に心臓をわしづかみにされたような感じになったり。でも、ここにチェルシーが居る事が、なにより心の薬になっています。うんPまみれ犬でもね。

ところで、今日はチェルシーを迎えるに当たって考えたことについて書きたいと思います。ちょっと長くなるかもしれないので、数回に分けるかも、のテーマです。
アポロを迎える時、不勉強だったことを反省してる話は何度も書いてきました。千葉県内のブリーダーさんで、犬に対して良心的ではありましたが、繁殖してるのは別の犬種で、アポロは他のブリーダーからはっきり言えば「仕入れ」た状態。「買い手が居なかったらウチで飼おうと思ってた」と言ってたので犬を愛してはいるようでしたが。
アポロと暮らすうちに、私も色々な事を知りました。
ゴールデンレトリバーには遺伝性疾患が多いこと、特に股関節に異常のある子が非常に多く、苦しんでいること。それは厳しい条件でブリーディングをすることによりある程度防げるのに、いい加減なブリーディングをしているブリーダー(自称)が非常に多いことを知りました。
また一方で、犬種を問わず、捨てられて殺処分される子が多く年間10万頭以上の犬が人間の勝手で殺されていることも知りました。いつかこの国から、犬や猫の殺処分が無くなればいいと、切実に願っています。実際のレスキュー活動には参加できていないので、口ばっかりなんですが。
殺処分が無くならない事には大きく2つの理由があります。1つは、センターに収容された子を引き取る人が少ないこと。もう1つはセンターに持ち込む人が居ること。当たり前のことなんですが、要するに入り口からいっぱい入って来るの事と出口での受け皿が足りないことなんです。これは、どちらも重要で、どんなに動物愛護が進んだ国でも(ドイツやイギリスでも)捨てる人はゼロにはなりませんから、受け皿は必ず必要なのです。一方で、どんなにレスキュー団体が頑張って、里親を沢山探しても、水道の蛇口が閉まらない事には根本を断つことにはならないのです。なので、捨てる人を減らしつつ、救う人を増やすこと、両方を並行してやることが殺処分を減らすことにつながるのだと思います。
って、全然チェルシーを迎える話にならないんだけど?長くなりすぎるので今日はここまで。
写真は、名古屋時代の4歳ぐらいのアポロ。河川敷でお気に入りの一枚です。でもね、晩年のアポロと顔立ちが違うの。若いって言うか、ちょっと顔がいかつい?晩年の方が穏やかでやさしい顔をしてます。