穏やかな一日

2010.1.22アポロ1

悪夢の緊急手術から1ヶ月以上が経ちました。
手術の時はもう気が動転していて、何も考えられませんでしたが、血管肉腫の診断が下ったのが、12月21日。目の前が真っ暗になった瞬間でした。
どうして?どうして?と思い続け、そして、こんなに色々頑張ったのに、アポロはたったの9歳なのにと、自分が世界一不幸に思えました。道ですれ違うワンコたちがみんな健康に見え、うらやましくてたまらなかった。
そのあとしばらくは、自分が世界一不幸じゃない事を感じるために、必死に自分より不幸な人を探しました。ニュースで若くして殺害されたお嬢さんのご家族の映像を見て、「ああ、あのお父様に比べたら私はまだいいかも」と思ったり。自分の病気を知った上で癌と戦った親友のT子を思い、「アポロは自分の病気を知らないんだからまだT子より幸せかも」と思ったり。自分より不幸な人を探すことでなんとか這い上がろうとしていました。
そんな中で、お正月に遊びに来てくれたすらまこmamaが「誰にでも必ず分け隔てなく訪れる悲しい事なんだ」というような事を私に言いました。その言葉を聞いたときはまだ私はその言葉を消化できず、同じ病気でスラッシュを亡くしたすらまこmamaに心の中で「でも、すらまこmamaにはマッコイもいたじゃないか。そしてスラッシュは11歳だったじゃないか」と心の中で思っていました(本当にごめんなさい、すらまこmama)。
あれから、数週間、毎日アポロの笑顔を見ていたら、すらまこmamaの言葉がすーっと心に入ってきました。今頃になって。やっと
犬と暮らすと決めた日から、別れが来る事は、100%決まっている。100頭の犬がいれば、100の別れが、必ず公平に飼い主に訪れる(愛犬より先に飼い主が亡くなる以外は)。これを避けることは、大金持ちの鳩山首相だって出来なかった。私だけが不幸なのでは無い。人によって、少し早かったり遅かったりはするし、状況は色々あるだろう。だけど、その悲しみにランク付けは出来ない。ひとりひとりの悲しみは全部違うもので、上も下もなく、たとえ10頭の犬と暮らしていても、たとえ人間の子供も沢山居たとしても、たとえ20歳まで生きたとしても、たとえ老衰で亡くなったとしても、それは計れるものでは無い。比べられるものではない私の悲しみは、私の悲しみとして、そのときに受け止めればいい。ごくごく、当たり前のことなのに、自分の悲しみにしか目が行かなかったから、すらまこmamaの言葉を消化するのにこんなに時間がかかってしまった。
今はとにかく、ここにアポロが元気で居ること。毎日美味しそうにご飯を食べて、毎日元気にお散歩して、すやすや眠っていること。それを何より幸せに思う。自分を不幸がって、時間を無駄にしてはいけない。だって、アポロは自分のことを不幸だとか可愛そうだとか、これっぽっちも思っていないのだから。
今、アポロが病気だと信じられないくらい元気なせいもあって、我が家には穏やかな時間が流れています。私の気持ちも、たまに泣く事もあるけれど、落ち着いています。でもいつか、アポロが具合が悪くなってしまったら、また動揺して、泣き叫ぶかもしれません。また、自分が世界で一番不幸だと思い込むかもしれません。それはその時のこととして、今は、この何気ない日々をを大切に大切に過ごしています。どうか、この時間が少しでも長く続きますように。
朝の公園で。元気です〜♪


まじめな内容だったのに、この顔、どうよ・・・。