このひと月、毎日思った

2009.11.12チョーカー

こうやって、私、毎日元気に暮らしています。
ご飯は美味しいし、アポロも元気だし、紅葉もきれいだし、写真も楽しい
でも、やっぱり親友が亡くなって1ヵ月、彼女のことを考えない日は1日もありませんでした
T子ちゃんが、もう、いないということを、どうやって受け止めていいのかが、未だにわかりません。家族じゃないので、愛犬じゃないので、毎日顔を合わせていたわけではありません。だから、いわゆる喪失感というのとちょっと違います。毎日メールをしていたわけでもないし。でもだからこそ、そろそろメールが来る頃かなとか、あ、このお店美味しいから今度一緒にとか考えかけて、「ああ、そうか、もうT子はいないんだ」と改めて思ったりするのです。
学生時代は、いろんな相談をしていたけど、大人になってからは特に結婚してから私は大きな悩みもなくて、彼女を頼ってる感じではありませんでした。どちらかというと、彼女の悩みを聞いてあげることが多かったです。だからこそ、私が名古屋に行くときに「すみがいなくなったら困る。どうしよう・・・」と言ってくれたT子ちゃんでした。私が千葉に戻ったときも、すごく喜んでくれました。その後も闘病について、話を聞いたりすることも多く。そう、彼女は私のことをとっても必要としてくれたのです。必要とされているということは、私にとって、すごく貴重な、大切なことでした。
闘病の後半、家に引きこもりがちの彼女とバラ園に行ったり、花の美術館に行ったり、ランチを食べたり、できるだけ、時間を割いたつもりでした。せっかく、専業主婦で時間があるんだから、できるだけのことはしたいと思っていたのです。
でも、最後に7月に会った後、もう一度会うことは出来ませんでした。7月15日にもらったメールが最後のメール。「また、気持ちが復活したらあそんでね。ランチも、いい店、さがしとくね。」私が、「7月26日から旦那が夏休みで旅行に行くから、帰ったらまた会おうね」というメールをした返事です。私は30日に旅行から帰って、でも、すぐにメールが出来なかった。7月に会ったとき、辛かったんです。どんどん痩せていく彼女に会うのが。歩くこともままならなくなっていく彼女に会うのが。だから、数日、メールを出来なかった。帰ってから数日して「旅行から帰ったからご飯食べに行こう!」とメールをしたときにはもう返事が来ませんでした。
それを未だに悔やんでいます。お姉さまに聞いたところ、8月の頭までは自分で車を運転できたとのこと。旅行から帰って、すぐに連絡すればもう一度会えたかもしれない。いえ、もう一度会えたからといって、何も変わりはしないのです。「7月に会ったのが最後だった」という事実が「8月に会ったのが最後だった」に変わるだけで。解っているのです。でも、どうしてあの時、名古屋から帰ってすぐ次の日にでもメールしなかったのかと、やはり悔やんでしまうのです。
読んで下さっている皆様、暗い話でごめんなさい。こうやって、ここに書くことで、気持ちの整理をつけようとあがいているのだと思って、どうかお許しください。
写真は、T子のイタリア土産のチョーカー。いろいろ旅行をしてた彼女からはなぜかチョーカーのお土産が多かったです。ちゃんと私の好きな色。長い付き合いだったので、もらったものも沢山です。
暗い話を読んでくれて、ありがとう。ぜんぜん、元気なので、大丈夫なんですけどね。