祖母の告別式・親友のお通夜

2009.10.9数珠

9日の金曜日は、昼間は祖母の告別式、夜は親友のお通夜。こんなダブルヘッダーは悲しいな・・・。
昼の祖母の告別式は滞りなく終わる。棺の中にたくさんのお花を入れて、葬儀上から出棺。火葬場へ向かう。遺骨を親族で骨壷に入れるところなどは、父のときと同じ。違うのは、遺骨を入れ終わった後、お清めのお酒(車なので飲まないで形だけ)と塩・・・まではわかるけど、鰹節があったこと。鰹節もお清め?服にかけるの?結局わからず、聞くに聞けず、ごまかして火葬場を後にした。地方によるのかな?
その後、親族で会食があったのだけど、それは失礼させてもらって、親友のお通夜に向かった。
車で千葉の斎場に向かう途中、行くのをやめたいと思った。お通夜や告別式に行って現実を受け入れなければならないのが嫌だった
斎場に着くと、そこはびっくりするほどの人だった。たぶん何百人という参列者だったと思う。長い間小学校の先生をしてきた彼女のお通夜には、同僚だった先生たちはもちろん、ずっと前の卒業生から在校生、父兄たちであふれていた。こんなにたくさんの人が来るお通夜を私は初めて見た。と、同時にこんなにたくさんの人が泣いてるお通夜も初めて見た。彼女が教師としてどれほど慕われてきたのかがそれでわかった気がする。あんなに仕事ばかりして、幸せなのか?結婚しなくてよかったのか?って思ったけど、彼女は教師として幸せだったのだ。そして、きっとこのたくさんの生徒たちの中に、彼女は何かを残している。それはこれからもずっと生き続ける。たとえ彼女がいなくなっても。そう思った。
だけど、やっぱりなんにも残さなくてもいいから、良い先生じゃなくてもいいから、ずっと生きていて欲しかった。お焼香が済んで、棺の中の彼女に会うことができた時、あまりの痩せた姿に、悲しくてたまらなかった。お通夜に来た、高校のバスケ部のチームメイトは私のほかにもう一人。平塚から来てくれた。チームメイトの中で、彼女の闘病を知っていたのは私だけだった。他のチームメイトは連絡したときに何のことか理解できなかったに違いない。そういう意味では私だけが彼女との別れを予感はしていた。だけど、だけど、悲しくて悲しくてたまらない。
載せるのに良い写真もないので、この日フル活動だった私の数珠。以前、浅草で買ったもの。