東京大空襲

2008.3.10アポロの寝顔

3月10日は会ったことのない私の祖父母と叔父の命日です。
1945年の3月10日、東京の下町は火の海になりました。真夜中に始まったアメリカのB-29による爆撃のためです。たった一晩で死者、行方不明者は10万人以上、東京の3分の1以上の面積が消失しました。
私の母の一家は下町で刀屋を営んでいて、母の妹2人は疎開、兄1人は出征中。両親と下の兄、母と幼い弟が東京に残っていました。なんでさっさと全員疎開しなかったのかと思ってしまいますが、そうはいかないものなのでしょう。空襲が始まって店の商品を助けたい父親とは後で合流することにして、兄と母親と幼い弟を背負った私の母は炎の中を逃げ、熱さのあまり川に入りました。たまたま持って逃げた布団を川の水に浸し、布団と川面のわずかな空間で呼吸をして奇跡的に生き延びることが出来たのです。
しかし、一緒に縄につかまっていたはずの母親は気付くといなくなっていました。そして私の母の背中の幼い弟は息絶えていました。助かったのは私の母と兄だけ。合流するはずの父親とは二度と会えませんでした
機転を利かせた兄がぬらした布団をかぶらせなかったら、川面はものすごい熱さでしたから、2人も助からなかったことと思います。そして、水面ギリギリで呼吸をしていた私の母。背中の弟の顔が自分の顔より下の位置にあったのだから、呼吸が出来ず亡くなったのだと、どうして気付かなかったのかと今でも自分を責めています。しかしたった13歳だった母が、自分も生きるか死ぬかの時、そこまで気付けなかったことを誰が責められるでしょうか。けれど、そのときの弟の背中の重さをおそらくは母死ぬまで忘れないでしょう。
そして、やっとの思いで助かった私の母が目にしたのは、一面の焼け野原と累々と横たわる黒こげの遺体。あまりの多さに、恐ろしいと思う気持ちも麻痺してしまっていたと言います。でも、13歳の多感な少女にその地獄の様な体験。これがPTSDの原因にならないわけがありません。おそらく、あの戦争中、多くの人が多かれ少なかれこんな体験をしているのでしょう。
今年は3月10日にTBSで東京大空襲を写真におさめた実在の人物をドラマ化して放送したようです。3月17日にも日テレで藤原竜也主演で2夜連続でドラマが放送されます。長い長い年月が流れ、風化していく体験を現代に伝えていくことはとても大切です。ドラマの出来が良いことを祈ります。どんなに素晴らしい訴えでも、作品としてつまらないとダメですから
私たちは、自分の子供達を戦場に送らずに平和に人生を終れるでしょうか。こうやって馬鹿みたいにアポロの事だけ考えて暮らせる日々は、続くでしょうか?馬鹿みたいに暮らすためには、本当の馬鹿になってはダメなのです。厳しく見つめて、考えて、時には声をあげて守らなければ。このアポロの幸せな寝顔を壊さないために。
最後までまじめな話でスミマセン。たまにはね。